(324)お祝い俊二

月曜に子の用事で時間休を取ったとき、すこしだけ余った時間で喫茶店に入って、整体の予約と美容院の予約をした。おもしろそうなウェブセミナーを申し込むこともできた。仕事の時間は仕事のことを考えていて、生活の時間は生活のことを考えている。両者の時間をぐるぐると回っていると、どっちの時間にもなかなか考えにくいことがあって、それはいつまでも頭の隅っこで順番待ちをしている。丸一日休暇を取ってしまうと、それは休日、つまり生活の時間になってしまう。時間休を取ると、仕事の時間にも生活の時間にもならない時間がぬるっと生み出される。12色の絵の具で絵を描いていたら、突然13色目の絵の具が登場して、そうそう実はこんな色が欲しかったんだよねみたいな感じ。そこで、ひそかにわだかまっていたものが具体に降りる機会を得たりする。だからわたしは時間休が好きなのだ。
週末のイベントに向けて準備をしていた。予定している場所はあまり馴染みがなかったので、下見をすることにした。着いた頃にはもう夕方で、あまり時間がなかったけれど、その時間帯ならではのものを見ることができた。インタネットやその他の情報収集のテクニックがあれば代替できるのかもしれないが、やっぱり現地に足を運んで得られるものは大きい。たぶん情報が一次的なので、自分なりの受け取り方ができるところがよいのだろう。整形された情報は、その内容も、形式も、ある種の要請がひっついてきて、それをきゅうくつに感じることはある。
食べもののお店を探すのがとても苦手だ。腹に溜まりゃあいいみたいな、根本的にセンスのない価値観を私が持っているからなんじゃないかと思う。私に与えられた認知機能の余剰部分を使って、最低限のことはできるんだけど、最低限みが半端ない。それでも人に相談しながら、いくつかの候補の中から優先順位をつけてもらって、なんとか予約を取ることができた。面白かったのが、予約を取ろうと電話をかけたら、「コノ時間帯ハ私ガ対応シマス」と機械的な音声の応答があり、彼女とのやりとりで時間帯や人数の予約が完了したこと。こちらで勝手に機械応答だと決めつけているが、声色をよく訓練された人間なのかもしれない。クレーム対応のときにやったら余計怒られるだろうか。
プレゼントを選ぶのは、食べもののお店を探すよりもはるかに苦手だ。具体的に指定してもらえるととても気が楽だが、指定されたプレゼントと指定されてないプレゼントでは、同じ言葉で呼ぶのをためらうほど異なるもののように思う。両方のいいとこどりをするために、指定されたものと指定されてないものを両方選ぶことにする。プレゼントを選ぶのは苦手と書いたけど、プレゼントをあげようと思うくらいには好意を持っている人のプレゼントを選ぶために、その人のことを思い返しながら、特にその人が好きそうなもの、喜びそうなものに焦点を当てて、ぼんやりとしたところからいくつかアイデアが湧いてきて、それらに出会えそうなお店に漠然と足を運んでみて、具体的な陳列を見ながら「これこれ!」とか、「ちょっと違うんだよな…」とか思いながら、最終的に1つか2つ(予備含め)選んでいくプロセスは、嫌いではない。ただ、そうやって選んだものが相手にとってもらってうれしいものかどうかはまた別の話で、それがそれなりに噛み合っていればいい話なのだけど、完全に1人の世界で滑りまくっていると、痛々しいことになる。
人は他人のことを100%理解することなどできはしないだろうが、あたかも100%理解されているかのように、言ってもいないことにぴったり寄せてきてくれるようなこともあれば、どうしたらそんな結論になるのかがまったく想像もつかないほどの誤解が爆誕することもある。その間に、誤解に至る経路の想像がつく誤解、その人の視点で考えたらそういう結論に至るよなとわかることもある。それもさらに2種類に分けられて、自分の視点で考えたことが正解だと思いこんでいる場合と、相手のことがよくわからないから、自分の視点で考えるしかないみたいな諦めの産物である場合がある。自分の視点がずれがちであることを踏まえていれば、悪さを抑える方法はそれなりにあるのではないかと思う。