(204)おやすみなさい

夜、というものは、体力気力が尽きかけているか、尽き尽くしているものと相場が決まっている。夜に元気が有り余っているのは、起きたら夕方だった日ぐらいだ。だから、1日の終わりに振り返りをするのは、ましてやそれを続けることはなかなかにハードだ。朝一番に前日を振り返るのとはわけが違う。もっとも、朝は睡眠を経て記憶が整理されているので、もはや前日の自分とは数%別人になっているがゆえの距離感がある。

朝、最近ずっとくっついてまわっている首の痛みに対して、肩甲骨まわりのストレッチを20分かけてやる。しょうゆ汁は鍋いっぱいに作ったので、まだ残っている。洗濯機は夜でなくて朝に回そうとする。家と体のメンテナンス。今年は始業ギリギリに駆け込むのではなくて、大人の余裕、5分なり10分なりの時間を優雅に使える始業を行えるようになりたい。自分との付き合いと同じくらい、お金との付き合いと張り合うくらい、時間との付き合いは一生つきまとう。だから社員証を忘れても取りに帰ることはできなかったんだ。

仕事はじめ。昨年末(昨日と今日で数%別人だとしたら、去年と今年では数割くらい別人かと思いきや、そんなことはない)の仕事おさめを年休で塗りつぶしたことで、後始末のメールチェックから始まる。でも思い出すにはちょうどいい。仕事のことは数割忘れている。私は本当に本当に本当に忘れっぽくできている。だから無意識がズモモモ…と肥大して気持ち悪いことになっている。そして、客観視ができない私にはその肥大する無意識が見えないが、隣に座っている人からはきっとよく見える。ツバ飛んでるくらいよく見える、に違いない。

evernoteにチェックリストをこしらえて、昼な夕なにひとつずつつぶしていく。何かが進んだ気がしているが、それはパズルゲームの小気味よいポップ音のようで、雰囲気だけなのかもしれない。それでも、夏場にバテるとわかっていて炭酸飲料をかっくらってしまうように、そういう泡を消費することは今の私が背骨を縦にしておくためには必要なものなのかもしれない。

アフター5はアフター6で、気づくとアフター7はアフター8になる間際に退室。うっすいコートで昨日と同じ道をなぞる。日常的には縁がない無骨な建物も、2日連続踏み入れると親近感が湧いてくる。ネットでググると大体のことは書いてある。うれしくないことも出てきてしまうが、はっきりすることは大体いいことだ。搾りかすのような残りの今日の数時間、いったい何ができるだろうか。やりたいことはたくさんある。たくさんあるんだが、大体のことはできずに持ち越される。